ぼくオレ日記。

ネタや雑念など。

現代アートは意味不明? 子供のいたずらにしか見えない人へ

現代アート。うん。よくわかるよ。

現代アート、現代芸術。よくわかりますよね。僕もそんなよくわかる人間の一人です。
例えばある休日、美術館に行って、アートな1日を演出しようと思い立ったとします。近くを探すと現代アート美術館がある。ようし、今日も現代アートをよくわかってやるぞ。
お洒落でアートな服装に身を包み、館内に足を踏み入れ、こういった作品に出会いました。

 

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タイトル:コンポジション
作者名:ワシリー・カンディスキー
制作年:1913年

 

僕ならこういった感想を持つでしょう。

 

 


なるほど。

 

 

 

わからない。※個人の感想です。

 

現代アートがわからない。

そう。わかりません。現代アート・芸術。なんでもOKなわけではないのは流石にわかる。何かがきっとどこかにおそらくあるのだろう。しかしこの絵が他の作家達の作品を押しのけて飾られている理由がわからない。

 なぜ横の人は頷いているんだ。無題が多すぎる。頷いている理由を聞きたいけど、それでは自分がアーティスティックでないことがバレてしまう。お洒落の都合上それは避けたい。

そうだ。ひとまずスマホ現代アートの意味を調べてみよう。なんとかなるはずだ。

現代美術の定義

近代美術に対して、現代美術の時代区分、範囲には以下のものがある。

  1. 20世紀初頭のフォーヴィスムドイツ表現主義以降を現代美術とする考え方
  2. 20世紀初頭のキュビスム 以降を現代美術とする考え方
  3. 20世紀前半のシュルレアリスム抽象絵画(抽象美術)以降を現代美術とする考え方
  4. 第二次世界大戦後(1945年以後)の美術を現代美術とする考え方
  5. これらとは別に、20世紀以降の美術全体を現代美術とする考え方

近代美術と現代美術 - Wikipedia

な、なあるほど。まあ、各々がんばって読み解けばなんとか全体像が把握できるはず……。あ、定義の6個目がある。どーれど

 

6.これ以外

 

もうムリ。

 

現代アートをわかりたい

何となく新感覚で見ていて楽しい作品が多いのですが、視覚的な新鮮さ、新しいものに出会った感覚を覚えるだけで終わることが多い。比較的わかりやすい技法の凄み・細密さだけでは説明できない作品群がたくさん。
同じようなことを感じる人もいるのではないでしょうか。

詳しい人からは「それでいいんだよそれで。それが一番大事だし」と言われそうですが、個人的には着目すべき点がわからなすぎて損をしている気持ちになってしまいます。

もちろんアートの楽しみ方は人それぞれ。でも「それしか選択肢がない」という状態と「好きな楽しみ方を選ぶ」のでは意味合いが違うはず。新しい観点や鑑賞のアプローチを知っていれば、何倍にも楽しみ方は増やせるはず。

そんなときによかった本

そんなときに読んで非常にためになったのはが、藤田玲伊さんの「現代アート、超入門!」です。個人的に非常にタメになりました。2009年に出版された本らしく、もう少し早めに出会えばよかった。

 

たとえば一九一七年に発表されたデュシャンの『泉』。この作品は工業製品である便器がそのままアートとして出品されたものだ。仲間のアーテストたちにも「はたしてこれはアートか?」と理解されなかった作品が、なぜ今現代アートを代表する作品といわれるのか?
さまざまな作品を俎上に載せながら、現代アートの「わからない」をごくフツーの人の立ち位置に立ち、難解な解釈から解き放たれた「よくわかる」現代アートとの付き合い方、鑑賞法を探り当てる。初心者だけでなく、アート鑑賞の新たなノウハウにも学びが得られる一冊である。(Amazonページ商品概要より)

著者の藤田玲伊さんはアートエッセイストとして活動中の方で、「フツーの人」の立ち位置を重視し、ハードルが高くなりがちなアートの世界をわかりやすく解説してくれているありがたいお方。「フツーの人」とは、要するに前提知識なしに鑑賞を楽しむ一般の人と言い換えることができると思います。

「フツーの人」の観点とは

「フツーの人」の観点とは、たとえば先ほどの例に挙げたこの作品。

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まずは「フツーの人」の立ち位置として、私はこんな素直な感想を抱きました、と述べられています。

正直、何が描かれているのかわからない。画面のあちこちに色が不定形に塗られており、ところどころに意味不明の線がてんでな方向に引かれている。(中略)ものすごくよく考えて描かれたようでもある一方、何も考えずに描かれたようにも見える。なので、「何が描かれているかわかるか? と聞かれたら、「わからない」と答えざるを得ない。(P52)

本を出版されるレベルの方でもこう思うんだ、と妙に安心。そして、これが記事の冒頭で述べたような、普段僕が現代アートに持つ感覚であり「それしか選択肢がない」という状態でもつ感想です。

「フツーの人」から一歩進んで鑑賞するために

そこから一歩進んで楽しむにはどうすれば良いのか。本書では作品が生まれた背景を説明しながら、鑑賞する観点を教えてくれます。例えば先ほどの「コンポジションⅥ」では、

  • 作者のカディンスキーは抽象画の父と呼ばれている
  • ルネサンス以降は基本的に現実をいかに巧みに表現するかに重点がおかれていた
  • しかし彼は「どうすれば現実から遠く離れた絵を描けるのか」を取り組んでいた

という抽象画の潮流を作ったことが評価されたのだ、と述べられています。

彼は、ある日アトリエに飾られた見慣れない、不思議な模様の美しい絵を発見。ここにある理由もわからず見惚れていると、なんとそれが自分の絵が横倒しになっていただけだったことに気がついたのです。

それを認識してからは、美しいと感じなくなってしまったものの、あの時感じた美しさが本物なのでは」と考えました。つまり、「何が描いてあるかわかる」という状態は、美しさを阻害していると結論付け、前述のような絵を描くようになった。

そういえったエピソードを知った上で作品を見るとまたちがった面白さや感動、共感を得られます。この作品においては「わからなさ」は当たり前。

現代アートにおいては、時として背景知識を求められることも知れば「自分の感性がついていけない」と距離を置くこともなくなる。

横から見たり、逆さまに見てみたり、親近感を持って作品を楽しむことができます。一歩進んだ楽しみ方です。

疑問を観点に変えていく

 一例を挙げさせていただきましたが、他にも

  • 美しいと思えない作品について
  • 上手だとは思えない作品について
  • 無題という作品について

など、具体例を出しながら、楽しみ方の観点を教えてくれます。それぞれの章において自分のような「フツーの人」が感じることを取り上げ、疑問を観点に変えてくれます。

他に紹介されているのはこんな作品。

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はい。ちなみになんと便器です。いいたいことはわかります。

先程の例のように、本書ではきちんとその「良さ」について説明してくれます。

最後に。観点を感性に変えていく

例に挙げたカディンスキーの絵においても、そのストーリーを勉強のように頭に詰め込まないと意味がない、と考える人がいるかもしれません。結局のところ小難しい理論や歴史ではないか、と。

深く知るためにはそういった面もあるかもしれません。ただ「作者の思想・背景が評価されたのかな」といった観点を知っておくことで、実際のストーリーを頭に入れていなくても物怖じせず、また一層自分の感性でアートを楽しむことができると思うのです。

個人的には非常にタメになったおすすめ本です。興味を持った方がいれば是非。他の著書もよいですよ。

 

 

藤田令伊さんのブログ:ARTRAY