現代アートは意味不明? 子供のいたずらにしか見えない人へ
現代アート。うん。よくわかるよ。
現代アート、現代芸術。よくわかりますよね。僕もそんなよくわかる人間の一人です。
例えばある休日、美術館に行って、アートな1日を演出しようと思い立ったとします。近くを探すと現代アート美術館がある。ようし、今日も現代アートをよくわかってやるぞ。
お洒落でアートな服装に身を包み、館内に足を踏み入れ、こういった作品に出会いました。
タイトル:コンポジションⅥ
作者名:ワシリー・カンディスキー
制作年:1913年
僕ならこういった感想を持つでしょう。
なるほど。
わからない。※個人の感想です。
現代アートがわからない。
そう。わかりません。現代アート・芸術。なんでもOKなわけではないのは流石にわかる。何かがきっとどこかにおそらくあるのだろう。しかしこの絵が他の作家達の作品を押しのけて飾られている理由がわからない。
続きを読む矛盾に満ちた半生。語りか、騙りか。「ミスター・ノーバディ」- リピート映画
幾通りにも語られる男の人生
引き続きリピートした名作映画をご紹介。
今回は「ミスター・ノーバディ」という作品です。日本では2011年公開。
もしもあの時、違う選択を取っていたら。幾通りにも語られる一人の男性の人生と、可能性の物語。独特の映像センス、鮮やかな手法で描いた名作です。
2092年、世の中は、化学の力で細胞が永久再生される不死の世界となっていた。永久再生化をほどこしていない唯一の死ぬことのできる人間であるニモは、118歳の誕生日を目前にしていた。メディカル・ステーションのニモの姿は生中継されていて、全世界が人間の死にゆく様子に注目していた。そんなとき、1人の新聞記者がやってきてニモに質問をする。「人間が“不死”となる前の世界は?」ニモは、少しずつ過去をさかのぼっていく――。
(Amazon紹介ページより)
紹介映像は以下より。
人類で最後に死ぬ男。整合性の取れない回顧。
医療が進み老衰が無くなった未来。「人類で最後に死ぬ男」として世界から注目を浴びている主人公。残り少ない彼の人生をたどるべく、「人が死んでいた頃の話」を聞くべく、インタビュアーが訪れます。
限られた時間・人生の中で、何を選択してきたのか。主人公は幼い頃から自分の人生を語り始めるのですが、彼の話を聞いていると、
- 離婚した父と母、生活を共にするどちらかを選んだはずなのに、どちらとも生きた人生を語る
- 3人の中から選んはずだったガールフレンド全員との恋愛、その後を経験している
など、いくつもの矛盾が生まれていきます。どれが本当の人生なのか。どれもが真実味に溢れすぎていて、インタビュアーは混乱します。本当のあなたの生き方は、どれだったのか? 彼に構うことはなく、主人公のニモは死を目前に語りを進めていく。
パズルを解いているような感覚
映画を観ている我々も、全ての人生を同時並行で提示されて混乱します。
ニモはラテン語で「誰でもないもの」という意味。彼の話はどれもが真実味にあふれているが故に、どれが本当かわからない。分岐した人生の、どの道筋が今の彼を形作っているのか。老いにより、錯覚と現実の見分けがつかなくなった彼の耄碌話にどこまで付き合うべきなのか。
どこから嘘なのか? 全部嘘なのか? あの部分が本当だとしたら?
パズルを解くような不思議な気持ちになりながらも、徐々にその虚実入り混じった感覚に引き込まれ、映画のメッセージ性、主人公の思いがおぼろげに見えてくる。
人生の選択性。何をいきたのか。生きたつもりなのか。未来に無限の可能性があるのであれば、過去にも無限の可能性がある。
人は選ぶことができる。これからの生き方も。これまでの生き方も。
観る人に色々考えさせる、オススメの作品です。是非ご鑑賞ください。
1つ前の映画紹介はこちらから。
ブログ読者数が50人越え。う、うれしい。
うおーブログの読者数が50人を超えている。皆さんありがとうございます。
— ぼくオレ。 (@bokuore3) 2015, 12月 23
ということに気がつきました。なんとうれしい。
現時点で52人。すきなように述べているだけのブログですが、お付き合いいただいている皆様、本当にありがとうございます。
考えを整理したり、思ったことを形にするよい機会と思って始めたブログ。誰かが興味を持って登録してくれるなんてあるのだろうか、という感じだったので、とってもうれしいです。
何かお役に立てることであったり、意味のあることを少しでも記事にできていたらいいなあ。
これからもどうぞ、よろしくお願いします :)